ど素人が高級呉服の販売などイキナリ始めて売れそうにないのが普通である。しかし、シゲは意外な才能を発揮した。初日から博多帯を1本売ってきたのである。これには呉服屋の大将も驚いた。それからはメキメキ腕を挙げて2年後にはトランペットクラウンのハードトップがあてがわれ、熊本支店長に抜擢された。支店長と言ってもマンションに事務所があり50代の女事務員がいるだけで、シゲが一人で営業に回らねばならない。
シゲも24歳になり服装も垢ぬけてきた頃、中学の同級生だったペコちゃんが、川瀬の3号線沿いで「サンラビ」という喫茶店を開いた。八女郡界隈にはまだ喫茶店というものが少なく近在の若者らが足繁く通い始めた。
其のころシゲは出入りしていた八女市の茶道教室で知り合った赤バスのガイドをしている千秋とつき合うようになった。けして美人ではないが、色白の細面、抱くと甘酸っぱい香りが漂ってくる。仕事の合間に、休みにとデートを重ねた。結婚しよう、シゲは熱望したが向こうの親が反対する。
「セールスなんて、とんでもなか。家の家系は技術職なのでキチンとした会社の勤め人でないとイカン」
と、千秋の兄が親の代弁をしたが、その兄は自動車の修理工で、父親は農協で有線放送の工事に携わっているという。
「でも、最初はどこの会社も小さい規模で始めたと思うのですが…」
「それは戦後の混乱期だからできたとですよ、今は安定しとるけん勤め人が一番です」
たかが修理工にそんな風に言われるとは思ってもいなかった。
それからしばらくして長崎のお客さんの紹介で銀行員の女と見合いをしたが、なんとなく気に入らなかった。次に紹介されたのは長崎の岡正というデパートで電話の交換手をしている佐和子という女を紹介された。3ケ月ほど付き合ったが向こうの親の反対で別れた。
店の売り上げがはかばかしくなかった。売上低迷から脱出を目指してこれまでの月賦販売から信販会社と提携して長期ローンが利用できるような制度に移行したが思うように業績は伸びなかった。
手形決済日が近づくと社長は集金〜集金と従業員の尻を叩いた。シゲも大幅な値下げをしてまで現金売りに精を出したが1本で数十万もするような大島紬が簡単に売れるわけがない。博多帯の4万円を半額の2万円で馴染みの客に買ってもらうのが関の山である。社長は最後の手段として大島紬を質入れして手形を落とすようになった。
販売の為に商品を仕入れるのではなく、資金繰りための仕入れと化した。経営は次第に苦しくなり、従業員の給料も遅配が続いた。仕入れには買い取りと委託という二通りの方法を併用していた。買い取りは文字通りの買い取りである。委託というのは問屋から商品を借りきて売れた分だけを清算する。
買い取りは売れなかったら自分(近源)が在庫で抱えることになるが、委託では売れなければ返却すればいいから在庫が増えることはない。手形決済日の2日前に1本20万円〜30万円する大島紬を数十本借りる。それを入質して現金を作り、手形が落ちたら金策に走り質屋から出して問屋に返却する。
この方法は死の接吻と業界でいわれている。一回だけで済めば良いが、苦しくなると何度でもやりたくなる。常態化して典型的な自転車操業と相成る。

