2012年01月30日

養鶏の事

リハビリセンターで1年半の訓練期間が終了し、1987年3月31日退所した。少しでも収入になるようにと、密かに鶏を平飼いしようと思っていた。実家の空き地で鶏を飼いたいと切り出した。これはセンターにいるときから考えていたことである。週刊誌で鶏の放し飼いをしている人の記事が紹介されていたのである。それを読んでやってみたいなあと漠然と思っていた。
「そげなこつは止めとけ。匂いがして臭かけん。近所から苦情が出るぞ」
父は何でも反対した。昔からそうなのだ。車の免許を取るときも。自動車を買うときも。なんでも反対である。ま。これはどこの親もそうであるらしい。親の言うことを聞け。田舎ではこの一点張りである。
「最初は少しから始めるけん、よかろうもん」
すると弟がこう言った、
「父ちゃん、兄ちゃんもあげん言いよるし、リハビリち思うとけばよかやんね」
それから親父は何も言わなくなった。続きはこちら
posted by tosiki at 18:36| リハビリ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月27日

なるほど。

出会い系にハマった80歳代男性 利用ポイント代200万円払う

posted by tosiki at 10:12| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月25日

気になるがんの原因

NEWSポストセブンで気になる記事を見つけた。60を過ぎるとどうしてもガンとかが
着になる。
がんの20%以上は感染が原因


posted by tosiki at 19:54| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月25日

筑後平野・第2部8、

その27、

こうしてシゲはまた車を買うはめになった。120万あれば1000CCクラスの大衆車が買えると思っていたが、まり子がやっぱり軽の方が良いと言い出した。理由は箱バンになってる方がお花のお稽古に行く時に、荷物の出し入れが楽だというのである。

なるほど。そう言われればトランクに荷物を入れるより箱バン型の軽自動車の方が荷物の積み下ろしは便利だろう。すぐに石田自動車を訪ねて軽自動車のカタログを物色した。諸経費込98万円でダイハツミラパルコ550CCAT車をお盆過ぎに購入した。

20万円ほどお金が余ったので9月上旬。まり子に2週間休暇を取らせて二人で能登半島へドライブ旅行にでかけた。旅行から戻ってしばらくするとテレビが仰天のニュース流れた。

「1989年10月17日17時4分にアメリカのカリフォルニア州北部で地震が発生し高速道路が倒壊した」

と報じられシゲは仰天した。すぐに佐多建設の伊田専務に電話をかけた。

「やっぱ。例の件は公団に言うた方がよかですよ。でないと地震があったら一発で倒れますばい」

「高田君、ちょっとまたんね。今度のアメリカの地震で高速道路が倒壊したとは工法が古いけんたい。今は技術も進んでるけん。大丈夫少々の地震では倒れることはなか。それよりまた話会おう。明日にでも福岡支店に出てきてくれんね」

シゲは言われるまま佐多建設の福岡支店を訪ねた。スレート葺きの事務所は新幹線の高架橋の近くにあった。外側の階段を上って事務所に入った。伊田専務と他に見知らぬ男が奥の応接セットの椅子に座って待っていた。

「ああ、高田君、そこに座らんね」

シゲは彼らと向かい合って腰をおろした。

「この度は高田さんに大変ご迷惑をおかけしまして。新世界土木の福田です」

知らない男が挨拶をしたので、シゲは軽く頭を下げた。

「今度のアメリカで起きた地震で高速道路が倒壊したとは建設工法が古いけんよ。あの頃はフープ筋を巻いとらやったけんね、そいで弱いとよ。今は100ピッチでフープば巻くけんね。全然問題なかよ。公団がそげん言うとるけん間違いなかばい」

フープ筋というのは垂直に立つ主筋に10センチ15センチ間隔で巻いていく帯状筋のことである。古くはフープを巻いてなかったが、現在の工法では巻くようになっているので安全だと伊田専務が力説する。

「で、高田君、俺にできることは何かなかね」

シゲは後いくらか金をくれと内心思ったが口に出せなかった。その代わりにこんな提案をした。

「毎月3万円ずつの支払はアンタんところの会社が倒産したらどうもならんけん。見舞金の残金ば一括で払うて欲しいところですが。あんまり無理も言えないでしょうけん。俺が車を買い替えるけん。そのローンを残金の分払うてくれんね」

「毎月の支払の代わりに自動車ローンを俺が払えばよかとじゃね」
それぐらいなら簡単な事と伊田専務は了承した。
こうしてまたシゲは車を買い替えることになった。石田自動車を訪ね、カタログを吟味し、ダイハツシャレード1300CC3ATを選出した。オートローンの手続きは石田にまかせた。しばらくして納車されたシャレードを見てまり子は目を丸くした。

その28、

中小の建設会社などいつ潰れても可笑しくない。現金かそれ相応の価値のある商品を手にした方が安心である。

しかし、落ち着いて良く考えてみると、新世界土木と佐多建設の狼狽ぶりはなんか大袈裟すぎるように思える。手抜き工事を示唆するハガキなどなんの証拠も無いのだから無視すればいいだろうに。一作業員の言う事など道路公団が相手にするとは思えないし。たった一枚のハガキでシゲの要求を全部飲むなんて。佐多建設の豹変ぶりにも不自然さを感じる。

1993年1月15日午後8時6分、北海道釧路市南方沖でM7・5の地震が発生した。シゲは伊田専務に電話をかけた。

「専務、やっぱ道路公団に言うて工事のやり直しをした方がよかですばい。九州もいつ地震のおきるかわからんけん」

「まあ、まあ、高田君待たんね。また会おうやなかね。君のその後も心配しちょったやけどね。行き場が無いのなら福岡支店に遊びにおいで明日午後1時に待ってるわあ」

在宅障害者という浮世離れのした日常は死ぬほど退屈なのだ。まともに相手にしてくれる者なぞ滅多にいるものではない。シゲはダイハツシャレードに乗って佐多建設福岡支店まで行き、玄関のドアーを開けた。事務所の奥のデスクに座っていた専務が顔をこっちに向けた。

「こっちに来んね」

シゲはマヒ足を振り回しつつチンガタンチンガタンと狭い通路を歩き応接用の椅子に倒れるように座った。パソコンの画面に向かっていた伊田専務がシゲと向かい合って座る。中年の女事務員がお茶を持ってきた。

「なあ、高田君、俺はどうすればいいね」

「どうすれば良いかち言われても…、そらあやっぱ。公団に手抜き工事の事を言うのが一番でしょうたい」

「だけん。それは困るとよ。どうしたら君が納得してくれるかなと思うて…」

シゲはいくらか金をくれと内心思ったがそれを口に出す勇気は無い。口に出したら恐喝になってしまう。伊田専務も金をやるからこの件は黙っててくれとは言わない。これは先に言った方が負けになる。
……
シゲはお茶をすすりながら5分ほど思案して、こんな妥協案を口にした。

「見舞金を自動車ローンに組み替えても残金がまだ20万ほどありますけん、それを一括で払うてくれんですか」

「あ、そうね、よかよ、明日中に振り込みばするけん、銀行の口座番号を教えてくれんね」

伊田専務はニコニコ顔である。
あくる日シゲは早速銀行に行き5万円を下ろしてくると車を福岡競艇場へと走らせた。福岡競艇場の門をくぐると5レースに間に合った。

「はーい。はーい。はい。今度の5レースはコレで決まり。これしかない。頭は固かけん。ヒモ探しのレースたい。」

これは誰が見ても同じ予想をするだろう。
3〜1 3〜2 3〜4と5千円ずつ3点買いでバッチリ取った。3〜1で入って370円の一番安い配当だから、3500円しかもうからない。
ああ。やっぱり。3〜1の一点買いしとけばよかった。と反省することしきりである。しかし、反省した後は全然当たらない。11レースがが終った時点で残り3万円になってしまった。

もう帰ろうかとも思ったが最後の優勝戦を見ずにはいられないという競艇ファンの心理が働いてしまう。最後の優勝戦は1〜2が本命だ。これには誰が見ても異論は、無いだろう。1〜2だと配当500円のオッズである。1〜3で600円だ。1〜4なら1200円のオッズである。1〜2の一本釣りか。他のも押さえておくか。随分悩んだ。どの新聞も場内のどの予想屋も1〜2 一発だと言っている。
「締め切り5分前。締め切り5分前」
場内アナウンスが締め切り5分前を告げると1−2のオッズが500円から400円に急激に下がった。観衆の中からこんな声が聞こえて来た。
「おっ。誰かプロの勝負師が大口で買うたとばい。そいけんオッズが下がったとやね。これは1−2で決まりばい。最後のお土産レースたい」



その29、

シゲは1〜2か1〜3で決まりそうな予感がしきりにするのだった。1〜2を2万。1〜3を1万の2点買いで勝負しようと、窓口に行くまでは思っていた。そして締め切り1分前のアナウンスが流れて来た。

「締め切り1分前。いよいよ締め切ります。」
とアナウンスがうるさい。しかしこの1分は、ものすごく長いことを常連の一雄は知っているから慌てない。しかしここで慌てなかった事が後で裏目に出ようとは想像もしなかった。

「締め切り1分前。締め切り1分前。いよいよ締め切ります。いよいよ締め切ります。」

シゲはこの時になると朝の反省点。他人の言動に惑わされない、は、すっかり頭の中から抜け落ちいている。1〜2 200枚 1〜3 100枚 と書いていた舟券投票用紙を1〜2 300枚に変更したのである。1〜2 300枚と刻印された舟券がシゲの手に渡された。押さえ無しの一本勝負に出たのである。
それまでざわめいていた場内に、レース開始のアナウンスが流れると、群集はシーンとなって競争水面に視線を注いだ。やがて、ピツトから6つのボートが博多湾の競争水面に登場した。

「連日、熱戦を繰り広げております福岡ボート、お盆特選レースもいよいよ本日、最後の優勝戦となって参りました。さて。優勝の栄冠は6選手の誰の手に輝くのでしょうか。いよいよ優勝戦の開始です。」

場内に映画ロッキーのテーマ曲が流れ始め、6つの艇が好きなポジションからいっせいにスタートを切ると専属アナウンサーの名調子がとうとうとボート場内に流れ始めた。

「さあーて。第1マークを回って先頭はインコースから好スタートを切った1番。続いて2番。すぐその後ろから3番が続いております。そして4番、5番、6番と続いておりますが、早くも5号艇がキャビテーションして失速ぎみ。体系は1〜2と変わらず、いよいよ第2マークの旋回です。」

バックストレッチは1〜2の体系で決まったような雰囲気だが、3号艇が猛追している。

「行けえ。1〜2で決まりじゃろうもん。」

シゲは柵にしがみつくと絶叫した。この時、シゲは勝ったと思った。しかし。しかしである。人間、ツキがない時には徹底してツキの女神に見放される。2週1マークで2号艇がターンでわずかに流れるとアナウンサーが絶叫した。

「ああ!2号艇の内側を突いて3号艇が果敢に切り込んで参りました。ただ今、2号艇と3号艇がラップ状態で旋回中です。2着争いは混沌としております。」

結局。2号艇のわずかなスキを3号艇に差されて1〜2の体系が1〜3に変わってしまった。シゲの顔面からは血の気が引いた。内心しきりに一点買に変更したことを後悔したが、いまさらどうしようもなかった。レースはそのまま周回を重ね1〜3で決まって680円の配当が電光掲示板に表示された。

…なんとも言えない脱力感に襲われその場にへたり込んでしまった。

その30、

その30
シゲは競艇を止めようと思ってもなかなかやめられず悶々としながら最寄りの病院のディケアーに通っていた。片麻痺はもうなおらないとわかっているのだが、他にすることもない。あるときPTが

「アキレス腱の延長手術をしてみたらどうだろう」

と言う。シゲの足は非常に緊張が強いので膝が曲がらない棒足になっている。膝が曲がらない状態で歩くので、足を振り回すか引きずるかになってしまう。そうすると膝に体重がかかるたびに膝がガチッとロックされてしまう。こういう歩き方をしているといずれ膝がボロボロになるという。それでこの予防策としてアキレス腱を5ミリほど延長するという方法があるらしい。それで1994年12月、主治医の診断を受け95年3月1日の予定でオペの予約を入れた。

1995年1月17日
朝起きてトイレを済ませテレビをつけるとモニターには黒々と黒煙を上げる映像が映し出されアナウンサーが17日未明阪神地方で巨大地震が起きたと叫んでいる。家屋やビル、高速道路が倒壊しメラメラと炎を上げる神戸市街地の映像にシゲは驚いた。

それからは終日被災地の様子や被害の状況、ボランティアーに向かう人々の列、政府の対応の様子が報じられた。シゲの眼はまるで大蛇が横たわるように倒壊している名神高速道路の高架橋の橋脚に眼が釘付けになった。根元からポッキリ折れている個所もあればコンクリートがグシャグシャに砕けている部分もある。

高架橋の場合、床板を支える橋脚の上部にはシューという台座が付いている。このシューは1台数トンにも及び、床板と橋脚の接合部分は半球状の可動式になっていて、揺れを吸収して衝撃による圧力を逃がすようになっている。人間の間接のような感じである。このシューがワンスパンに4台ついている。このスパンが数珠つなぎとなって高架橋の道路を形成している。つまり揺れが来ると蛇が胴体をクネクネとする状態になるから。露骨な倒壊は起きないようになっている。

大蛇が腹を見せてひっくり返っているような倒れ方をしている名神高速を見ていると設計のミスか図面通りに施工がなされていないか、ということになる。シゲは直観で手抜き工事が原因で、こうも無残に倒壊したとわかった。高架橋の土木作業員として働いていたから。土木の現場では手抜き工事は当たり前のように行われている。ある古参の現場監督は大型トレーラーで運ばれてくる鉄筋を現場では下ろさせず、廃品回収業者の工場に直接下ろさせその利益を関係者で山分けしていたと自慢げに話すのを覚えている。

阪神淡路大地震から10日ほどたったある日。シゲは新聞を読んでいてとても気になる記事に出くわした。倒壊した高速道路の橋脚にはフープ筋(帯状筋)の数が規定よりも少ない報じられている。・・・やっぱりなあ。絶対そうだと思った。高速道路が図面通りにできているならああも無残に倒壊するはずが無い。誰かが鉄筋を間引いて地金屋にたたき売ったに違いない。シゲは以前湯布院の手抜き工事の隠ぺいをさせられた経験があるので確信を持ってそう言える。

湯布院の時は19ミリの鉄筋を使う所に16ミリの鉄筋を使用していたことを知っている。19ミリと16ミリの鉄筋の差額を誰かがポケットに入れている。1本の差額はわずかだが、1つの区間でも使う鉄筋の量は相当な量に上る。色々考えながら新聞の活字を眼で追っていると、パンと膝を打った。

「そうだ、そうか、あの件があったけん、伊田専務も新世界土木は俺を異様に恐れたとばい、違わんそげんばい」

あれは1984年の11月だった。沖縄に行く準備をしている時だった。4トン積みのトラッククレーンに建設資材の積み込みが終わって休憩をしている時、作業を手伝ってくれた黒木という半端な型枠大工がこんなことを話してくれた。

「あれは焼き山バイパスの工事の時じゃった。ピアー(橋脚の塔)ができたけん上部工の横桁を乗せる工事ばしよる時やった。クレーンで吊り上げた桁を地面に下ろし始めたけん、何事かと思うたら。ピアー(橋脚の塔)に桁が乗るらんやった。所定の位置より30センずれてピアーが立っとった」

シゲはそんなことがあるのかと吃驚して、

「で、工事は佐多建設でしたとですか?元請けはどこですか?」
「うん、工事は佐多よ。元請けは新世界土木やった。あんときは夜通しで解体してまたピアーを最初から作り直して大ごとやったばい」

橋脚ができたので横桁を乗せようとしたら脚が30センチずれた位置に立っているので組み立てが不可能という実に単純なミスである。その時の元請けが新世界土木なのだ。

つまり湯布院のミス工事で2度目ということになる。そういう背景があるのなら作業員からタレ込みがあっても道路公団は信用するだろう。そういうわけで伊田専務も新世界土木もシゲを恐れたというわけだ。これで長い間の疑問が解けた。

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2011年06月24日

筑後平野・第2部7、

その24、

ハガキを投函して4日後に田中さんが慌てて電話をかけてきた。
「ああ田中ですが。こりゃあ、どういう事かね。新世界土木さんにはなんの関係もなかろうが。中竹土木さんなら話はわかるんじゃが」

「あの件ですか。あれは一人の高速道路利用者として手抜き工事された高速道路の安全性について疑問を投げかけただけですけん。そげん、なんで私にやかましゅう、言うとですな。あの件では下請けは関係なかでっしょうもん。アンタは引っ込んどいてください。その代わり治療費請求の件はご破算でよかですよ。アンタたちが昼飯も食わせんでコキ使うといて。こげな体になったら労災にしてやることもせんでくさ。作業員ば、人夫と呼んで侮蔑し、用なしになればボロ雑巾ば捨てるごとするけん。こっちも精一杯の抵抗はしますよ。手足のヒン曲がってた体ですけん、今更、命は惜しゅうはなかですけん」

シゲは、心の中に鬱積していたものを一気に吐き出した。

「高田さん、そう言わんでこっちの話を聞いてくださいよ。明日、福岡へ出てきます。自宅で待っていてもらえませんか。お願いしますよ」

佐多建設の豹変ぶりに驚いた。あのハガキにどんな効力があるのか皆目検討もつかない。放置しておけばいいだけの話なのだと思うのだが。彼らは翌日の午前中には宮崎名物のヤマゴボウ漬けと菓子折りを持参して来た。

「高田さん、あの事を公団に言うのだけは止めてください。君の要求は全部飲みます。ね、専務そうでしょう」
恥も外聞も無く田中さんがシゲの前に手を着いた。

「ああ、そうじゃが高田君。しかし、現金で一括払いは無理じゃけん。178万円を毎月3万円づつ分割払いにするけん。これで収めてもらえんじゃろうか」

伊田専務もすっかり態度を変えてしまった。田中さんはシゲに向ってペコペコ頭を下げながら、

「うちも下請けで立場上辛いけん。お願いしますよ高田さん」

田中さんは土下座までした。

「あげな事ばしとって。あんたたちのほうが、橋脚の鉄筋ば切断するとがどげな事ば意味するかようわかっとろうもん。主筋を切っとるとですよ。地震のきたなら一発で倒れますばい」

攻守所を変えるというがまさにこのときがそうである。シゲの鼻息が荒くなってきた。

「まあ、まあ、高田さん、そげな事ば言わんとお願いしますよ。公団に言うのだけは止めてください」
田中さんはすっかりしょげている。青菜に塩をかけるというが、まさにその表現にぴったりである。
と。ここでシゲはさらにイジワルを言ってやった。

「あの件は佐多建設とは関係なかですよ。オレに見舞金ば払うのとは別問題でっしょが。新世界土木さんとオレの問題ですけん。どうして急にアンタたちがオレの治療費製急ば飲むて言うとですな。この前の裁判所での態度と全然違うやなかですな。ようわからんですたい」

「それはうちも下請けとは言え、この件が公団に知れたら仕事ができませんから」

伊田専務はさすがに畳に手を突くことまではしなかったが、気味悪いほどの愛想笑いを浮かべてシゲの機嫌をとってきた。

その25、



「うちの現場で働いておられた作業員さんが障害を負われたけど、克服されて結婚までされたと。社員たちに話して見習えと言うとるわあ」

しまった。こんなことなら治療費の請求金額をもっと多くしておけばよかったなあ・・・。178万円を払うと向こうが言うので受けざるを得ない。しかし、建設会社の下請けなどいつ倒産するか知れたものではない。178万円をキャッシュで、と言いたいところだが。相手にも都合というものがあるだろうから妥協案を出した。

「わかりました。現金一括の方がよかばってん。しょうんなかですたい。とりあえず70ばキャッシュでくれんですか。残りば分割にしてもらいまっしょう」

シゲは尊大な態度でそう告げた。そこへちょうどまり子が外出から戻ってきたので、柿狩りでもいできた富有柿をむいて客に出した。

「奥さんですか、こんにちは。高田さんとは見舞金のことで話をさせてもろうとりますけん、何も心配することはなかですよ」

なんでこんな弁解をするのかしらなかったが。別にまり子にまで言う必要のないことまで、田中さんがベラベラじゃべった。よほど他人に知られたくなかったのだろう。
1989年5月15日、
やがて裁判所から2度目の呼び出しがきた。担当の調停員にあれから話し合って解決できたと報告した。
調停委員は当事者たちを判事のいる部屋へと案内した。

「第270号調停申し立て事件は、お互いに合意ができたそうです」

正面の椅子に座っている年老いた裁判官に報告した。老判事は、

「それはよかったですね」

型どおりの受け答えをしてヨロヨロと椅子から立ち上がった。

「それでは、お手を拝借と一同を促すと自ら音頭をとって、

「ヨーイシャンシャンシャン」

と手を打ったので全員それにならった。
これで公式の治療費請求事件は終わりだという。町内会長が隣近所の揉め事を裁いたような按配である。裁判所というからもっと重厚な物々しいものを想像していたのでシゲは拍子抜けした。

70枚の鯨札を手にしたシゲは、そのうちから3枚を握って福岡ボートに行ったが、返り討ちにあってしまった。このままではいずれ競艇の誘惑に負けてせっかくの見舞金も失くしてしまのが目に見えている。

そこで今持っている軽自動車を下車に出して、追い銭が50万以内で済みそうな普通車を郷里の石田自動車で探してもらった。日産マーチのコレットというタイプなら50万円の追い銭で良いというのでこれにした。

納車して間もなくの暑い日。シゲは高校野球をテレビで見ていた。と、電話が鳴ったので受話器をとった。お花の稽古に行っていたまり子だった。

その26、

「千鳥橋で追突されたよ、相手は50代のおとなしそうな女性で、修理代は払うけん、警察には言わんでと頼まれたよ。どうしたらいい?」

「えー、で怪我は?」

「別に何とも無いけど、車が少し凹んだ」

「そんなら住所と電話番号ば聞いてメモしておいて。免許証で住所は確認せなよ。後で俺が交渉するけん」

「うん、わかった」

午後5時過ぎにお花のお稽古からまり子が帰ってきた。シゲは急いで駐車場に行って車の損傷具合を確認した。トランクの部分が思った以上に凹んでいた。事故の加害者からすぐに電話があると思っていたがあくる日になっても連絡が無い。シゲはヘッドに来て連絡先に電話をかけた。加害者の女性が勤める職場は老人ホームだった。看護婦をしているという。

「じゃあ、今から職場へ伺います」

シゲがそう言うと相手はあわてた。

「そ、それは困ります。どこかほかの場所で…」

「そんなら野間の大池前にあるファミレスはどげんですか。明日午後7時にきてください」

翌日シゲはまり子を連れて約束のファミレスで大場重子と名乗る看護婦と落ち合った。年齢を聞くと60歳だという。服装は若作りにしていて40代後半ぐらいに見えた。テーブルに着くなりシゲが声を荒げた。

「車は2800キロしか走っとらんけん。修理じゃなくて。新車を買うてくれんね。その代わりに俺の車はアンタにやるけん」

「そ、そんな。修理じゃあいかんですか」

看護婦はぶつぶつ不満を漏らした。

「えー、追突しといて。なんば言いよるか。ちょっとそれより、アンタの家に行って旦那と俺が直で話ばするけん。アンタの家に連れていかんね」

「否、それは困ります。家には年寄りがいるだけですから」

普通こういう場合は旦那が出てきて話をするだが、この看護婦は家人に合わせようとしないので不審に思ったシゲが怒鳴った。

「車の車検証ば見せてくれんね」

店内に響き渡る大声に吃驚した看護婦は渋々車検証を持ってきた。所有者は中島幸平となっている。

「この車はアンタの所有じゃなかとね。アンタが新車を買うてやらんて言うならこの所有者と話ばするけん。とにかく警察に行って事故届を出して。キッチリ話ばしよう」

とシゲがエキサイトした。すると相手はオロオロして、

「わかりました。新車の代金を払います」

シゲは、

「明日午後7時。現金で120万円用意してこんね。現金と引き換えに俺の車をアンタに引き渡すけん」

大場重子の周囲を探ってみると面白い事実がわかった。中島幸平というのは70歳過ぎた老人で博多区にかなりの土地を所有する資産家で、老人ホームに入居していた時、大場重子と知り合ったそうである。それから二人は恋人になった。心臓に疾患を持つ幸平老人の世話をかいがいしく行うのを見た中島幸平が自分の老後の面倒を見るという重子と彼女のアパートで同棲状態にあるらしい。当然のごとく中島老人の家族は二人の交際には反対している。120万円の出処は中島老人の懐である。


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