膝に強い反張もある。歩こうとして足を出す。すると体重を乗せる度に、膝にガチッとロックがかかってしまう。人はわずかに膝を曲げて歩くのが自然だ。膝を曲げた状態で体重を支えることができないと、滑らかな歩行にならない。ロボットのような歩きかたになってしまう。これではとても歩いているとはいえない。異常歩行だから、体のあちこちに悪影響が出る。
常に体をひねって歩くので腰の痛みに悩まされようになっていく。膝がロックされることによる、繰り返し加重からくる膝の痛み。装具無しで強引に歩いた結果、逆くの字に曲がってしまった患者の足の写真を見せられたときは、度肝を抜かれた。
歩くのを止めて車椅子に頼るという選択肢もあるが、どうしても自力で歩けるようになりたいという思いが強かった。痛くなったら休み、回復したらまた歩き始めるという歩行練習に汗を流した。1〜2キロは装具を付けて歩けるようにはなったものの、このブン回し歩行というのはたいそう疲れる。30分も歩けばヘトヘトになり、しばらくは動けない。
お盆が近づくと病院の一室を借りて田中工事部長立会いの元で、労基所の聞き取りが始まった。
「高田さん、作業日報を見ると休日も定期的にあるし、残業もありませんね、これで労災を認めるなんて、そんなことは通りませんよ」。
連日の残業と日曜日なしで働いていたのに、まったく違う報告書が作成されていることにシゲ愕然となった。スーッと顔から血の気が引くのを覚え、
「え、でも、血圧も昔から高くなかったし、前の現場での定期健診でも何の問題もありませんでした。残業だって毎日遅くまでやってましたし、休みだって正月だけですよ。それに昼休みの時間もありませんでした。飯を大急ぎでかき込んでコンクリ打ちもしていました」
すると、労基所の係官は、
「申請書にはそんなことは書いてありません。それに、仕事が原因で脳内出血を起こしたのなら、どうして他の人もならないんですかね」
とこんな風に言われてしまい、シゲは何も言えなかった。
10月上旬。1通のハガキが病室に舞い込んだ。那覇労働基準監督署からだった。
「労災の認定はありません。この決定に不服があるときは60日以内に異議申し立てをしてください」
と書かれてあった。異議申し立てをしろといわれてもどうしたらよいのか見当もつかなかった。大場病院でも、南筑病院でも、たとえ意義申し立てをしたところで、労災の認定は無理だろうとまるで相手にしてくれない。
半年前に入った生命保険の健康診断でも異常はなかった。血圧も正常であった。工事現場での常軌を逸した労働が原因だとシゲが主張しても誰も取り合ってはくれない。
だいたい病院のリハビリというのは最大でも半年ぐらいで終了する。昭和六〇年一〇月になると退院してくれと言われ、シゲはうろたえた。こんな体で退院してもこの先どうしたらいいのだろうと頭を抱えた。
佐多建設から社会保険証が届けられたので溜まっていた病院代の清算をして退院した。先の大場病院と南筑病院の一部負担金の合計がおよそ40万円になっていた。生命保険に加入して半年後だった。入院給付金が4ケ月分として60万円下りたのでこれを病院代に当てた。父親の繁吉は、八女の福祉事務所へ倅のことを相談に行った。するとリハビリセンターで訓練を受けたらどうかといわれたという。家族中で途方に暮れていたので、ワラにもすがるような思いで手続きを取ってもらった。

